since00/8/12
 
    主宰 消費生活アドバイザー 鵜飼 紅良

消費は美徳?のはずはない。が、消費せずには暮らせない。消費は生活経営でやむなし。
だが、浪費は良くない。ほんとう?浪費は無駄なの?浪費はいけないこと?
いや、浪費こそ壮大なる生き抜く活力だ。
じゃ、大いなる消費生活の「正しい浪費のスタイル」を極めようじゃないか!

かの大宅壮一が1億総***化というフレーズを使い始めた頃から、私たちは「お金」を軸足とした日常生活にはまり込んでいる。
『みんなが****だから』という呪文のような横並び願望で。
高校は行かねばならぬ・お父さんは家を持たねばばらぬ・お母さんはパートに出なければならぬ・高校生はバイトをしなければならぬ。
なぜ?みんながしてるから。どうして?お金が掛かるから。
でも無駄使いはダメなのよ。きちんと計画的に使わなくちゃ、お金。賢い消費者ならなくちゃ。
嘘をつけ!消費は浪費だ。計算尽くされた消費なんかまともな人間のできることじゃない。
計画が狂いなく積み重ねられ、無駄なく使われたお金の成功例なんて聞きたくない。
排卵に合わせて妊娠した受精卵にカンド―がないように、「便秘かと思った」妊娠がおもしろいのだ。
ってなわけで、比喩にもならない比喩ですが、思いがけない「無駄遣い」とここで踏みとどまろう「浪費」、それはあなた「濫費」よ、の
形而上学的アヴァンギャルド浪費生活の研究所です。

言葉の説明 広辞苑より

しょうひ‐しゃかい【消費社会】
消費の領域が拡大して、消費が生産を規定するかに見える社会。第三次産業の比重の増大、所得の相対的上昇、マス‐メディアの発達、遊びへの志向性拡大などが要件。

ろう‐ひ【浪費】 
みだりについやすこと。役に立たないことにむだに使ってしまうこと。むだづかい。

らん‐ぴ【濫費・乱費】 
みだりについやすこと。むだづかい。
浪費
 思いっきり無駄なことと分かっていながら、「ついやしてしまう」ことをここでは「浪費」といいます。生活し、カットしきれない「泡と消え行くもの」を「消費」といいます。『きれいになりたい』『なったつもりになれる』『しないよりはしていたい』化粧なんかは化粧品の浪費です。
でも、ディオールの口紅、ジヴァンシーのコロン、点けたからといって急にフェロモンが増殖?するわけではないけれど、女の「におい」が30cmくらいは広がったような錯覚を与えてくれて、それは「心がふーぅん」と浮き立つ豊かさを感じさせてくれる。無駄だけど無駄じゃなかったと自分の心を納得させてくれる。1ヵ月後のクレジットの請求を見て空しくなる。その繰り返しが浪費。そこでめげずに、買った化粧品は最後まで使い切る。最後まで使い切るなら「浪費」ではない。製品として世に出た化粧品は無駄にならず、化粧ッ気のない無表情な面はその使用分だけは避けられたから、心と環境のおしゃれにもポイントを上げたことになります。
住宅ローン
 かつては男子一生の仕事と言われ、50歳過ぎたらそろそろ家を建てようか。
今ではw income、20歳代からでもマンション→戸建て住宅へと計画を立てさせる。いったい誰がなんの目的で日本人をこんな目標に向かわせているんだろう。男子一生の仕事どころか、もって死ねるものでもない家や土地に「一生掛けて」住宅自己所有を「普通の人」の目標値にさせている。住宅ローンこそ人生のじつにつまらない「浪費ローン」。なぜなら、日本人の民族性にも良く使われる【勤勉】をくすぐる国の為政者の目論見でしかない。すなわち『生かさず 殺さず』。生活が破綻しても最後まで守っているのが「生命保険」と「自家用車」と言われるほど、利率の悪い人生設計になぜか走りがちな日本人。住宅ローンはその気の遠くなるような借金の山を勤勉さで乗り越えようとしている間は、国家にとって扱いやすい「良質な労働力」を提供しつづける。過労死・病死したために家族に「住まい」と「生命保険金」の支払いで当座は困らないように、日本のお父さん達は頑張るのだ。そのためにも住宅ローンと保険金の掛け金だけは何とか生み出さねばならない。しかし、人生目標に虚しさを覚えて、個に目覚めさせては困るので、そこそこのブームがそれなりに考え出される。かつてはアウトドアブーム。家は持てないけれど、高級アウトドア車を持たせて「みんなが楽しむアウトドア」だったが、さすがに環境汚染や大型車の自家用の駐車場もままならず、それではって言うんで「郊外にプチ別荘」を持とう。なんやかやと借金しやすいように公的ローンも色々増やして。そうです、この国の為政者は国民に借金を背負わせて、働かせて「ナンボ」の政策しか採っていないのです。国民そのもの暮らしやすさなんぞはもともと考慮はされていないのです。人生を消耗させるだけですね。この狭い国土で土地を保有して「ナンボ」で生きていくより、土地は使用権を認めて、住んでナンボ、生きてナンボで楽しく、有意義に浪費させてほしいものです。
100円ショップ
 この不景気の中で1企業がその業界のパイを食べ尽くす現象が続く。100円ショップしかり、ユニクロ然り。
私の住む街にも大手のスーパーに1フロア全て「ダイソー」に占められている形態が出現。
道路を挟んだハイパーダイエーと生協がまさにその構成。本来、100円ショップには興味がなかったので、わざわざ行くということはなかった。しかし、メーリングの仲間なども100円ショップを楽しんでいるようなので覗いていみた。
このダイソーの目の付け所と商品開発、多量なロット生産による安価な提案、明るいイメージと戦略的には経営の優等生なのだと思う。が、そろそろもう終盤かなとも思える。なぜなら、豊かで安価でお手軽な生活空間の提案は単にプラスチックな空間を提供しているにすぎない。100円ショップの製品にありがちな、とりあえず賄える満足度は幼稚な生活空間の構成には違いないのだ。
可愛いが飽きるだろう。飽きるから捨てるだろう。捨てたら新しいものを購入するだろう。その循環はまさに環境汚染のお手本のようだ。私たち生活者はどんな生活を営みたいか、実はもう分かっているのだ。
それはチープであっても日本人特有の繊細で質素な美意識。完成度の高いさり気ない備品。
旗振り役が大きくフラッグを旗めかせたら、おそらく雪崩を打つようにそのライフスタイルを取り入れることだろう。
今、空間の構成に安直に乗った反動は来る。近い将来必ず来る。
日本子孫基金が「買ってはいけない」を出版した時と同じようにアドバルーンを上げるタイミングがずれさえしなければ。100円ショップの製品の購入は浪費にすらもならない、空間の汚染だ。
100円ショップが経営悪化し、閉店が始まると恐るべき不燃ゴミ・ケミカル汚染が日本を蔽う。

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